たまさかの古本屋 シマウマ書房の日々

この本は一つの文が4ページ平均の多くのエッセイからなっている。

小さな事件も起こるが、それはむしろ珍しいこと。繰り返される日常の中で、古本屋ならではの本との向き合い方が淡々とつづられる。

「良書は巡る バトンのように」 名古屋・今池の古本屋店主が綴る、本と人の20年 *これが、帯のキャッチコピー。

日常ということでいうならば、町の本屋としてのシマウマ書房の日常は、とにかく地味な仕事の繰り返しである。いつも同じ場所にいて、雨の日も風の日も決まった時間に店を開ける。お客さんが来るとは限らない。それでも、買い取りをした本の埃を払い、値段をつけて棚に並べておく。注文が入れば梱包して発送する。いつもそれだけのこと。でも、それを退屈とは感じていない。むしろこうした毎日の繰り返しにこそ、意味があると思っている。 *これは、帯で紹介された本文(「歴史と日常」から)

ネットで調べると、たまさかとは、 思いがけないさま。偶然であるさま。たまたま。とある。(コトバンクより)新刊書と違って1冊の古本との出会いは、ほぼ偶然であるという意味を込めたタイトルかと推察する。

本のテーマは多岐にわたるので、「なるほど古本屋さんてこんな感じなんだ」と再発見したことを中心に感想を書く。

本をつなぐ

古本屋は本を引き継ぐ仲立ちをする。帯にもあるように、「バトンをつなぐ」である。これを著者は「小さな循環」とも呼ぶ。

ベランダで初めて植物を育てた時、すぐ大量のアブラムシが発生して駆除に難儀した。しかし、水槽でメダカを飼いそのアブラムシを与えたら全部平らげてくれ、アブラムシはメダカの餌という存在に変わった。そんな自然の循環を見て、古本屋も本を循環させているのだと感じたそう。

図書館と古本屋の違いは、「保存する・残す」図書館と「ほしい誰かに渡す」古本屋。誰かに渡す(売る)ためにレイアウトを考え、店のしつらえにもこだわる。

退職したばかりのころ、使っていない食器類や本をせっせとメルカリで売っていた。それ以来、本はきれいに読むようにしている。特に表紙を汚さないようにその辺にある紙でカバーをかけて読んだりもする。でも、売って金銭にするという以上に、もう一度誰かに読んでほしいという気持ちをこめて、きれいに読むのは大事なのだと思った。汚れるたものは、本として再利用されず紙としてリサイクルに回るのだ。そういえば、古本屋さんがネットで出品している「良い」評価のものは、ほぼ「非常によい」状態だ。その点メルカリの個人出品にはばらつきがある。プロの出品は信じられる。

本は紙がいい!

「紙の手触り」のなかに、ビブリオバトル(自分の一押しの本を推薦するバトル)で「紙をつなげ彼らが本の紙を作っている」という本を熱烈推薦する男子高校生の話しがある。彼によると紙の本には手にしたときには、期待感があるのだそう。男子高生が紙の本と新鮮な驚きがあったと著者はいう。

紙をめくる感触はいい。だから、多くの著者や編集者が紙の種類にまでこだわる。

自分の指になじむ紙質がある。新しい本の紙やインクの独特の匂い、カバーのデザイン、カバーの下に隠れている表紙のデザイン。この本を買うべきか悩みながら、本屋でぱらぱらめくる。一度読んだものを見返しながらページをめくり、目的のセンテンスがぱっと見つかった時の快感。みんな紙の本だからこその価値。

一時は持ち歩くのに便利というのでデジタルに走った時期もあったが、長距離移動の新幹線のなかで読むのには文庫本2冊で十分。そんなに邪魔になるわけでもない。買うより図書館で借りる方が多いが、買う時は紙の本だ。処分は少し面倒だが、今は送料は古本屋さんもちで、しかもまとめて宅配業者さんが引き取りにきてくれるので、便利になった。

今、Kindleで買う本はほぼ洋書。辞書が引きやすいから。タイトルにつられて買ったまま、途中になっているものが多い。英語力が足りていない。

古本にはまた、独特の匂いがある。古本の匂いは木の主成分(セルロース・リグニン・ヘミセルロースの内の)リグニン由来のもの。リグニンが酸化するとバニリンというバニラの臭いの成分に変わる。当然新刊本にはない匂い。木の酸化の匂いなので、古い日本家屋にもこの匂いがある。「リグニンの酸化」と検索すると、懐かしい匂いとも出てきたが、こういうことかもと思った。古本屋さんに入ったときのほっとする感覚というのは、古本の匂いが一因かもしれない。

あえて薦めない

鈴木さんは、「機が熟す」という表現する。

買う気満々で本屋さんに行っても、何時間滞在しても、買う気になれない日もある。ふらっと立ち寄って、なんか手に取って買ってしまうこともある。買った時は没頭できず長年ほったらかして置いたものが後に手に取ると面白かったりする。

特に、古本との出会いはまさに一期一会。だから、鈴木さんは、どんな本がお薦めですかと聞かれても、基本的にお薦めはしないという。商売としてはいかがなものかという自覚はあるそうだが。今は、専門家(選書家)が選んだ本を送ってくれる「選書サービス」もある。買い手にとっては、自分では選ばない類の本を手に取るきっかけになるし、本屋さんも商売になる。それなりに流行っているらしい。

ありとあらゆるものに☆評価がついてまわり、つい他人の評価を基準に買い物をしてしまう。この本の中では「星を売る人々」というタイトルのエッセイがある。「レビューの☆(評価)を書いませんか?」と売り込みがあるという。☆は操作されているんだぞ、それに踊らされていいのかと著者は問う。

でも、どの本が好きになるか、心を揺さぶられるかは人それぞれ。その時のその人に状態にもよる、まさに一期一会のもの。完全に「ハズレ」という時もあるけど、ハズレを引かない人生なんて味気ない。本屋で実際に手に取ればハズレの確率は減るが、忙しいから、すぐ読みたいからとネットで本を買う人も多い。だから☆(星)だよりになるかも。

鈴木さんがどんな本を読んでいるか、それは店に出せない痛んだ本の中でこれはと思ったもの。それらを電車移動の時に読むそう。新刊書店ではお目にかかれないような本もたくさんあるらしい。

現役時代には不動産業界で仕事をしていたが、中古住宅の中には、たくさんの蔵書の処分が必要な家もあった。高専の教授の旧宅では専門書がどっさりあって、貴重なもののあっただろう。まどめて古本屋さんに引き取ってもらうという選択もあったのかも。手間がかかるので不動産業者としてはやりたくはないが。

古本屋さんと自分

学生時代住んでいた仙台には古本屋さんが何軒もあった。学生が多かったからもあるだろう。一般教養の教科書など、その年限りのものは生協ではなく古本屋で調達する学生も多かった。今住んでいる町(一応県庁所在地)には、個人経営の古書店があまりないのは残念だ。

子どもが東京と横浜に暮らすようになってから年に2回くらいそっちに行くようになったが、昨年秋初めて、神田神保町の古本屋街に行った(→2025年を振り返る)。たまたま古本祭りの日で、路上にも本が並べられていた。

神田古本祭り

外人さんもたくさんいて不思議な気がしたが、浮世絵の複製や画集などを手に取っているのを見て、なるほどと思った。この本にも、ネット通販による外国からの注文(特に大学などの研究機関から)も多くなったと書いてあったが、嬉しいことだ。

自分は、歩道に並べられたキャビネットにあった老子の本にあたりをつけたあと、その辺を一まわりした。自宅に帰る日で長距離移動を控えていたため、少し吟味してからと思ったのだ。しかし他に気にいるものが見つからず20分後くらいに戻った時、その本はもうなかった。本当に一期一会の世界。結局、その後一冊も買わずに帰ることに。でも、どんな人が買ったんだろうな。

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