面倒くさいの正体
そもそも自分は面倒くさがり屋だ
だから、こんなことを考え始めたのかもしれない。今はそれほどでもないと思うが、かつては風呂に入るとか顔を洗うとかでさえ面倒でぐずぐずしていた。
学習塾のコマーシャルで「やる気スイッチ見つけよう」みたいなのがある。また、「とにかく始めればできる、習慣化したらOK」などと、たくさんの本にそう書いている。頭ではわかっても、面倒くさがり屋はそう簡単に直らなかった。
いつ、何が、変わったのか
定年退職して自由時間が増えたのが大きいかもしれない。考える時間がでたことで、どんな時に面倒だと感じるのかを観察してみた。その結果、面倒くさいの正体は、そんなに大した問題でもなくあっけなくできてしまうことが大半だった。
自分1が「これ、面倒でない?」と問うと自分2が「そうだよね、けっこう面倒だよね」と答える感じ。
試しに、「面倒くさい」が脳に浮かんだら、なるべく無視するようにした。自分1「面倒そうだよね?」自分2「ふ~ん」みたいに。明確に否定はせず、受け流す感じで。
そのうち、毎日のタスクは習慣となって苦痛でなくなった。弁当を作る日は必ずキッチン周りをきれいにするとか、外出後はバッグの中身を全部出して定位置に戻すなどなど。あらゆる場面で、不思議と億劫なことが減った。習慣の「慣」は慣れる、まさに慣れて苦痛でなくなった感じ。
面倒くさいことと大変なこと
しばらく、面倒なことについてついて考えていたら、はっと気づいた。面倒だと感じて手をつけないことは、ほぼささいなことだと。頭は使わずに体を動かせばいいだけなのに、やりたくない。もっとハードルの高いタスクは、「面倒」というより「大変」だ。つまり「面倒なこと」は「あまり大変ではないこと」だ。
では、それなりに「大変なこと」をあまり大変がらずに行う方法を考える。今の自分のタスクの中で大変な部類に入る一番は、献立を作ること。作るのは流れを考えて頭にいれれば、体を動かすだけなので大変ではない。ひとつの方法は、義務(have to)と考えないことかもしれない。その先に美味しい食事が待っていると脳に暗示をかけるのだ。好きなゲームなら(自分はほぼしないが)、困難な課題が待っていても果敢にクリアしようとする。義務でゲームをする人はほぼいないだろう。昆虫が好きな人は、何時間でもじっと、お目当ての虫が現れるのを待っていたり。とりあえず、好ましいことだと思えばいい。
先延ばししても、苦痛が長引くだけ
夏休みも最終コーナーにさしかかったころ、目の前に宿題の山があります。宿題だから必須です。逃れることはできません。でも、ここまで放置してきたあなたは、面倒だ、やりたくないと思うだけで、金縛りにあったように体が動きません。当然宿題は減りません。
面倒だという気分を横に置いといて、とりあえず始めればできる。面倒なことなんてそんなもの。終えることが出来れば、重荷がひとつ肩から降りるのにね。
今日の面倒くさい
それでも、面倒くさいを完全に排除できたわけではない。今日、一瞬でも面倒くさいと感じたことをメモして、データをとろうと思いついた。そして記念すべき第1弾の「面倒くさい」は、お風呂の掃除。このタスクを細分化すると
①2階から1階に下りる②風呂の栓を抜く③一旦2階に戻って水が抜けるのを待ちつつ何かする④水が抜けた頃、再び1階に行き掃除。
面倒と感じた瞬間に、「30分以内に車で外出しなければいけない。前もって、車の雪を下ろした方がいいかも。」と思いつく。更に「じゃあ、下に下りて風呂の栓を抜いたその足で車をチェックして、戻る途中で風呂を洗えばいいかも」と続く。すると、面倒くさいが消えてしまった。私の面倒くさいは階段を2往復することだったのか、水が抜けるのを待つ時間だったのか。いずれ、別のタスクと同じ流れに乗せてしまうと面倒が消えやすいかもしれない。
もう一つは、単にブーツを履くという行為。裏口から出るのに、最近までサンダルをつっかけていたが、外は雪が積もっている。そこで、玄関からブーツを持ってきて、履こうとした瞬間に「面倒くさい」が出現。わざわざ玄関に行ったのは平気だったのにだ。ブーツは、両手で持って引っ張り上げるのでサンダルほど簡単には履けないが、なぜここで?だ。さすがにブーツを履くことは先送りしなかったが。
面倒くさがり屋を自認していた自分にとって、そう簡単に面倒くさいは排除できないのかも。一日に何度も、「面倒くさい」が脳内に出現しているのだろう。しばらく観察したら面白いかもしれない。

