自然淘汰と持続可能な社会

密猟によるゾウの牙の変化

先日朝日新聞のコラム「天声人語」に書かれていたこと:内戦の続いたアフリカのゾウの密猟が多かった地域では、わずかの期間で、牙のないのメスのゾウが増えた。自然発生では4%しかいない牙のないメスゾウが、あるモザンビークの国立公園では15年間で51%に増えたという(ナショナルジオグラフィック電子版記事より)。密猟は象牙を売るために行われたので、生き残ったメスの多くは牙がない。その子どもたちも牙がなくなってしまったと考えられる。密猟が続けば牙のないメスゾウの優位性は続き、短期間で大部分のメスの牙がなくなるのかもしれない。牙は土を掘ったり樹皮を剥いだりと生きるために必要だから牙がないことは将来的に不利だと思われるが、生物はこんなにも短期間に変化するという一例か。

生命の歴史は、「淘汰」の歴史

生命は「変化する」ことを運命づけられている。ダーウィンの進化論により、生命は「進化」したという擦り込みがある。実際は生命が変化して多様化し続けることで、危機的状況が起きてもどれかがが生き残ってきたということだ。生き残った種はさらに変化して、新たな環境にうまく対応できた種が繁栄するを繰り返す。仮説を含め人間が解明できただけでも、地球が丸ごと凍るスノーボールアース(雪玉地球)や海洋無酸素事変や隕石の衝突など、生物の大部分が死滅する現象は何度も起きた。個体として生まれたら死ぬというだけでなく、生命は種としても、発生した時点で滅亡することが運命づけられている。このようにダイナミックな新陳代謝をすることで、地球上の生命は存続してきたのかもしれない。

人間の環境破壊も生命淘汰の歴史の一部?

地球45億年の歴史で人類が現れたのは20万年前のこと。人類が環境に大きな影響を与えるようになったのはさらに最近のこと。今、地球環境を破壊してたくさんの種を絶滅に追いやっているのは事実だが、ひっかき傷程度のダメージなのかもしれない。埋もれていた金属や生物の化石(石炭や石油や天然ガス)を掘り出し電池のように蓄えられていたものを熱として放出し酸素を二酸化炭素に置き換える。原子爆弾を作ったり原子力で発電して放射能のごみを生産する。しかし人間が引き起こす温暖化くらいでは、一部の生命は淘汰されるとしても、大部分の生物は生き残り、適応できたものはさらに繁栄するだろう。極論だが、原子爆弾を使った世界戦争が起きてほとんどの生命が死に絶えたとしても、何らかの生命は生き残る気がする。それらが変化を繰り返し、環境に適応できる種が生まれて反映していくかもしれない。まさに仏教の「諸行無常」だ。

人類は生き残れるか?

人類が環境を破壊しても、新しい生物が誕生し反映するだろう。しかしこの環境破壊は人類を滅亡の危機に追いやる危険性がある。温暖化による砂漠化や災害の頻発などで食料が調達できないと、餓死してしまう。自分たちの種を守るための行動をおこさなければいけないのは間違いない。また人類は、脳だけが異常に発達したが、逆に感覚を含む身体能力が衰えてしまった。武器ががなければあっという間に猛獣に食い殺される。気づいていないだけで、バランスがひとつ崩れればもろい存在だ。他の生物ではありえない「子どもを産まない」という選択肢まで持った人間。(個人的には、産まないという選択肢を否定するわけではない。)一時的には、増えすぎた人口を持続可能なレベルに押し下げる効果はある。しかし将来的には人口減少が止まらず種としての存続が危うくなるという意味で、ゆるやかな自滅行為ともいえる。人類も自然の一部であり、このようなある意味奇妙な種が生まれたのも地球の実験のひとつか。わたしたち人類にも、滅亡する瞬間の時限爆弾がセットされているのだろうと考えると、難しい顔で社会を憂うのもどうでもいいことかなと思ってしまった。

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