でも、前を向いていました

このごろ耳に障る言葉①

きょう、こんなウェブの記事に出会った。以下は、パドレスに移籍したダルビッシュ有についてのレポートの締めくくりの文章である。

*球団には16年からアドバイザーを務める野茂英雄氏がいる。「野茂さんは伝説的な投手なので。前もフォークを教えてもらったが、なかなか投げることが出来なかった。今の自分だったら投げられるかもしれない。もし会う機会があれば、もう1回教えてもらいたいなと思います」と前を向いていた。(Full-Count編集部)*

いつからこんなに多用されるようになったのかはわからないが、「前を向いていた」というフレーズが、スポーツニュースの敗者コメントを締めくくる定番表現になっている。前を向くというのは、下を向きたくなるようなつらいことがあったが、負けずに前に進もうとしていというニュアンスだと思う。上記引用文については、「スポーツ記事だし『前を向いていた』を使えばいいんでない?」的な使い方だが。多く使われるのは、試合に負けた選手へのインタビューを「しかし、〇〇選手は前を向いていました」とアナウンサーが締めくくるものだ。試合に負けたとき「次はやってやる」と思わないアスリートがいるのだろうか。特に一流アスリートならなおさらなのに、なぜ敢えてそれを言うのか。

無難で味がない、ひねりもない、工夫もない。賞賛も非難も、どこか薄っぺらだ。とんがった記事を書けば攻撃される危険があるからなのか、それとも大量の情報を処理するには、記事の中身を精査している余裕がないからだろうか。大半がつまらない文だと思いつつ、ついネットの記事に目を奪われ、時間を費やしていることに気づく。そのなかで大量の広告を目にし、たまにクリックすることで、Googleのような巨大な企業の懐を肥やしつつ、嗜好や行動の傾向をデータとして吸い上げられているのだろう。自分たちの意に反して起こる災害に昔の人々が神を想起したように、この目に見えないものたちは、我々はにとって神のような存在になりつつあるのだろうか。

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