校則を作ることで思考停止する学校
「一部の都立高校でツーブロック禁止」が話題に
近頃、共産党の池川議員が都議会でツーブロックの校則について質問したことから、ちょっと前話題になった模様。ちなみに私もツーブロック。髪の毛が多い人には助かる髪型。禁止の理由が振るっている、というかばかげている。「事件に遭う可能性がある」ということ。どんな髪型をしていても、事件に遭う可能性はゼロではない。たかがツーブロックごときで確率が上がるかのか。誰のため、何のために校則があるのか
校則とは,児童生徒が健全な学校生活を営み,より良く成長・発達していくため,各学校の責任と判断の下にそれぞれ定められる一定の決まりです。校則自体は教育的に意義のあるものですが,その内容・運用は,児童生徒の実態,保護者の考え方,地域の実情,時代の進展などを踏まえたものとなるよう,積極的に見直しを行うことが大切です。と文部省は言っています。ちなみに2005年に出されたもののようです。
文部省の見解自体には何の問題もない。時代の変化に合わせて積極的に見直せと、正しいことを言っている。さて、では正しく運用されているのか。各学校の責任と判断の下に行われているが、児童生徒の実態、保護者の考え方、地域の実情、時代の進展などを無視しているのが実態ではないか。生徒や父兄の意見をいちいち聞いていたら何も決まらない。時代は変わっているが、それに合わせて規則を変えるのは面倒だ。現行通りが揉め事もなく楽だ。説明が難しいことは、「これが生徒のためです、昔からこうです」と言っておこう。それでも刃向かう子には、内申書を盾に脅しましょう(これは妄想です。)
教員たちの支配下におけば安心、規則で縛れば問題は減ると本気で思っているのだろうか。ブラックと言われる教職員に多くを求めても無理かとつい思ってしまう。でも、生徒に人権はないのか。下着の色、スカートの長さ、髪型その他もろもろ、おしゃれをする権利だっってあるはずだ。華美というのも、世間知らずの先生目線かもしれない。生徒間では普通かもしれないのに、パワハラまがいに規則を押し付ける。
コロナ禍で緊急事態宣言が出されても人々の自由に配慮して、大人の社会では外出禁止ではなく自粛要請なのに、生徒には平気で意味不明な校則を押し付ける。中高生には人権はないのか。大人でない彼らには人権は必要ない。自由を与えれば暴走すると考える。自由は無制限でないということを教えるより、すべて抑える方が楽。でも、学校は権利や自由について教える場でもあるべきだ。
法律や校則には、おのおの精神がある
法律の理想は、シンプルであること。漢の高祖が、過酷だった秦の法律を廃止し、殺人・傷害・窃盗のみを罰するという3条・「法三章」を制定して民衆に喜ばれたという故事が有名だ。不真面目な学生だった自分が大学の講義で一番心に残っているのは、法律の適用に疑問を持った場合、その法律を制定した当時の精神(なぜその法律が必要だったか)に立ち返れということ。なぜ存在するのかを説明できないような法律(校則)は、存在意義がない。というか、存在してはいけない。「校則だから守らなければならない」というのは、本末転倒だ。
蛇足の妄想
今高校生になれるなら、ずっとトップクラスの成績をとって、ある日突然茶髪にパーマ、化粧にマニキュア、ピアスして登校してみたい。(今の学校を知らないので、こういうのが最大限の反乱か自信はないが。)先生は何と言うのだろう。がつがつ叱られるだろうな。でも、理屈こねて負けない自信はある。
大人は許されて高校生がダメなのはなぜでしょう。校則は先生方の保身のためではないですか。内申書に影響するなら、そんなの関係ないアメリカなどの大学に行きます。だいたい、内申書を盾に生徒を脅すのは「脅迫罪」ではありませんか。勉強は人一倍やっています。たぶん先生が高校生の頃よりも。高校生は判断力に欠けるからと言われても、生徒にわかるように校則の意味を説明できない先生がそれを言うなって感じです。学校は勉強するところですよね。先生は勉強を教えることが仕事ですよね。校則の取り締まりなんて無益なことに時間を使っている暇があるのですか。みんなが勉強が分かるようになれば、問題は減りますよ。
この辺で、「屁理屈言うんじゃない!」と怒鳴られ、親が呼ばれて謝らされておしまいとなるだろうが。


