最初の本「飛ぶ教室」
なぜ「飛ぶ教室」を選んだのか
あまりにも有名なケストナーの児童小説。ちょうどナチスが政権を取ったころに出版された。このカテゴリーの最初にこの本を選んだのは、断捨離して発掘したことと、NHKラジオで作家の高橋源一郎が「飛ぶ教室」というタイトルの番組を始めたことで、何十年ぶりに読み返したから。
最初に読んだのは小学生のときで、歴史背景はもちろんドイツがどんな国かも、主人公たちの年齢さえ分からず読んでいた。それでも、寄宿舎での友情や、正義先生の優しさや禁煙先生との運命の出会いに心打たれた記憶がある。その後も何度も読み直している一冊だ。大掃除で子どものために買ったものが出てきたので、読み返してみた。読みやすいし、なんといってもひとりひとりの人間が魅力的だ。残念ながら子どもに喜ばれた記憶はあまりないが。
主な登場人物とあらすじ
高等学校の寄宿舎に暮らす高等科1年生の5人の同級生たち(マルチン:学年で成績が一番で絵もうまい。正義感が強く行動力もある。親が職に恵まれず貧しい。ジョーニー:幼いころ親に捨てられた。親に乗せられた船の船長に育てられる。マルチンと仲良しで小説家志望。「飛ぶ教室」の脚本を執筆。セバスチャン:成績優秀で大人びた本を読むのが好き。博学だが、他人を小ばかにするところもあり友達は少ない。マチアス:腕っぷしが強くボクサーの世界チャンピオンを目指している。勉強は苦手。ちびのウリーの親友。しじゅう腹をすかして買い食いをしている。ウリー:ちびで自分が臆病者だというコンプレックスがある。のちにみんなをあっと言わす大胆な行動に出る。)と寄宿舎の舎監(責任者)の正義先生と寄宿舎の近所に住む世捨て人禁煙さんが主な登場人物でこれに寄宿舎の最上級生が絡む。5人は16歳くらいである。
物語は、クリスマスイブまでのわずか4日間の出来事である。12月23日に行われるクリスマスのお祝いに上演する劇(この劇のタイトルが「飛ぶ教室」)を5人が練習する少し前から物語は始まる。その練習中に、対立する実業学校の生徒が高等学校の生徒を襲ったという知らせが入る。マルチンを中心に、捕虜になった同級生と一緒に奪われた書き取り帳の救出劇が始まる。救出は成功し、寄宿舎の規則を破ったことも結果的にはお咎めなしとなる。この時、舎監の正義先生の話しから、禁煙さんと正義先生は高等学校時代この学校で一緒に寄宿舎暮らしをした親友だったことが分かり、翌日マルチンとジョニーが二人を引き合わせることとなる。
翌日(12月22日)、クリスマスのお祝いの前日、5人のクラスで授業前に、ウリーがかごに入れられ吊り下げられるという事件が起きる。前日の戦闘で逃げ出してしまったウリーは、自分の臆病さと戦うために運動場にある高い体操ばしごから蝙蝠傘を広げて飛び降りた。ウリーは脚の骨を折る大けがをするが、やり遂げたことで自信を得る。この日マルチンにはお母さんから、クリスマスの帰郷のための旅費を送れないという手紙が届く。マルチンは悲しみ茫然自失となり、みんなの前でも心ここにあらずという状態となる。それで両親を心配させまいとお母さんの手紙に返事を書き、クリスマスのプレゼントに用意した絵を同封する。
12月23日はクリスマス前最後の授業の日。その後行われたクリスマスのお祝いでは、ジョニー作の劇が上演される。ウリーのけがで劇は代役を立てることになるが、大盛況で幕を閉じる。翌日はクリスマスイブ。毎年寄宿生のほとんどが家に帰る日だ。寄宿生は親のいないジョニーとけがをしたウリー以外は全員家に帰る。クリスマスのお祝いが終わると、もう寄宿舎全部がクリスマスの帰省の高揚感に満ち溢れている。その中で、マルチンはひとり悲しみをこらえる。
翌日クリスマスイブに、みんなが帰省してゆく中、寄宿舎に残っていたマルチンは、このところのマルチンの異変を感じていた正義先生に問い詰めらる。お金がなくて両親のところへ帰れないことを打ち明けるたマルチンに正義先生は旅費を渡し、マルチンは家に向かう列車に乗車できた。それと知らない両親は、ツリーもない部屋でマチアスが送った手紙を読んでいる。そこにマルチンがいきなり帰ってきて、喜びの対面となる。マルチンが両親と星空の街を散歩するシーンで物語は終わる。また寄宿舎の話しを挟んで、作者がこの物語を書く前後のシーンがある。
読み返してみて
あらすじを書くため1日ごとに筋を追って初めて、たった4日間の物語だということに気づいた。次から次へと起きる事件の濃厚さに、そんな短期の物語だという感覚がなかったのだ。エピソードと登場人物の生い立ちやキャラクターが絶妙に絡み合い、ぐんぐん引き込まれる物語である。少年たちの境遇はさまざまだが、みんなそれぞれにたくましく生きている。
ケストナーは物語のはじめの方で、「自分をごまかしてはいけません。また、ごまかされてもいけません。不幸にあったら、それを、まともに見つめることを学んでください。うまくいかないことがあっても、あわてないことです。不幸にあっても、くじけないことです。へこたれてはいけません。不死身にならなくては。」と言う。子どものころには、読み飛ばしていただろう一節だ。
いつの時代でも、生まれたときから不幸な境遇にある子がいる。どこかで不幸な目に遭う子はもっといる。貧困の連鎖という言葉もある。子どもは親を選べないから、その境遇と戦うしかない。不幸な境遇にいたことがないからそんなことが言えるのだと反論されたら、言い返すのは難しい。でも、何かのせいにして逃げていても、何も変わらない。折れてぺしゃんこになる人もいるのは分かりながら、それでも立ち上がって自分の道を切り開く方が人生楽しい。ケストナーがこの小説を書いた時代のような政治的抑圧はない今、がんばれと言いたい。つらい時は逃げていいんだよ、という優しい人はいる。でも、逃げ続けていると、もっともっとつらくなると思うんだな、私は。


