ためらって(躊躇って)決められない

なぜ人はためらうのか

ためらうの意味:あれこれ迷って、ぐずぐずする。躊躇する。

ブログを書きながら、「何を言いたいのか、焦点がぼけている。こんなものを世間様に公開するのか」という迷いが起きてくる。プロじゃないんだからと思うが、恰好つけたい自分もいる。だれも批判するようなレベルではなくてもだ。いわゆる「小説家希望者」が、生涯でひとつの小説も書きあげることがなかった、なんて話も聞く。駄文でいい、わけではないが、それでも完成させないよりはいい。絵もたくさんデッサンをしないとうまくならない。最後まで書き上げた文章がたとえ未熟だったとしても、世に出すことで自分の覚悟ができる。と書きながら考えた。

なぜためらうのだろう。決断力があれば、時短ができる。いつまでもぐずぐず決められないと、時間の無駄だ。と、色々なビジネス書に書いてある。ビジネスで成功するような人は、重要な局面で考え抜いて決断ができる人が大半だろう。勝負の世界に生きる人も然り。将棋の羽生善治が「決断力」という本を書いている。山のようにある選択肢からどうでもいいものを捨て去り、最後に一つに決めるを繰り返してると書いてあったような記憶がある。食べた以外のメニューなんて店を出ればほぼ忘れてしまうのに、ランチのメニューを一つに絞るのが難しい日もある。選択は、他の可能性を捨てること。捨てられないのは、本当にしたいことがわかっていないからだと堀江貴文が言っていた。ランチや着ていく服や旅行先のような複数の選択肢から選ぶ場合はそうかもしれない。

ためらって迷走する政治は本当に困る

行動を起こすことをためらうのは、少し違うかもしれない。他人からどう思われるかとか、行動したことで起きる結果が怖いということか。文章を世に出すのは、まさに前者である。こんなささやかな文章を世に出すくらいでも、多少の気合は必要だ。

政治的決断については、両方ありだと思う。これをすれば、非難ごうごうだろう、どんな結果が待っているか不透明だとか。大きな決断をするには、腹くくらなければいけない。誰も正解が分からず、何をしてもメリットとデメリットがある場合、自分が責任を一手に引き受けて決断するのが大事。「国民のため」という視線で政策決定してほしい。何をしても批判は出る。でも、それを恐れてころころ政策を変えるから、ますます混乱する。中島みゆきの「Fight!」のさびの歌詞は、「ファイト!闘う君の唄を闘わないやつらが笑うだろう ファイト!冷たい水の中を震えながらのぼってゆけ」。周りでワーワー無責任に批判をするのは誰にだってできる。何をやっても賛否両論なんだから、決めたら迷わずでも、しっかりと説明はしておくれ。

と、何かを書きだすと、すぐ政府のぐらぐら政策に連想がゆき腹が立つ今日この頃。せめて、自分はささやかなためらいを捨て、この文章を公開しようと決断する。

2020.7.24 トトロの洞窟への至る小径(青森県)

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